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大阪地方裁判所 昭和31年(ヨ)2429号 判決

申請人 下江秀夫

被申請人 学校法人近畿大学

主文

被申請人は、申請人を被申請人大学理工学部機械工学科の専任講師として取扱い、かつ申請人に対し、金十五万三千六百六十六円及び昭和三十一年十月一日以降一ケ月金一万七千五百円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。

訴訟費用は、被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張

申請人訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

一、被申請人(以下、単に大学ともいう)は、学校法人法による綜合大学(法、商経、理工、薬各学部、短期大学部)であり、申請人は、昭和二十六年一月一日大学の理工学部機械工学科の非常勤講師として採用され、昭和二十七年四月一日より専任講師として、勤務していたものであるが、大学は、申請人に対し、昭和三十年三月十九日突然休職を命じ、更に三ケ月の右休職期間満了により、同年六月十八日退職になつたものとして、その頃申請人に解雇の通告をなした。

二、しかしながら、大学の申請人に対する右休職並びに解雇は、何ら正当な理由がないから無効である。

(一)  大学は、申請人に対する右休職理由の一として、申請人に酒行上の悪癖があり、教職員として、適当とは考えられないほど常軌を逸した醜態を演ずることがしばしばあつたと主張するが、右は全く事実無根の主張である。すなわち

1 申請人は、昭和二十七年八月頃の夏季休暇中、飲酒の上、当時大学構内の楢崎浅太郎方二階に居住していた同僚の商経学部長川西正鑑教授を呼び出すため、階下の楢崎氏方玄関において、大声を出しただけであり、障子を破壊したことはない。

2 昭和二十八年三月十五日の卒業式当日、小使松村キタが、一学生より、酒をすすめられて、飲んでいたことがあり、同女は元来酒癖のよくない女であるが、申請人が、同女に怒鳴りつけ、その頬を殴打したことはない。

3 同年十一月二十五日の教職員忘年会の席上、申請人は酔余の愛嬌から、理工学部長平尾子之吉教授の禿頭を冗談に軽くなでただけであり、全く悪意のある暴行ではない。

4 昭和二十九年五月五日、教職員互助会のリクリェーションの際、申請人は、朝鮮人十名位にとりまかれて殴られていた日本人を救うため、中に入つて口でとめただけであり、朝鮮人と喧嘩したことはない。

5 申請人は、授業時間中酒を飲んで講義したことはなく、教授講師控室で大声で雑談することは、何ら授業や研究の妨害になることではない。

(二)  大学は、申請人に対する右休職理由の二として、申請人の学内不法占拠の事実を主張するが、申請人は、昭和二十八年四月中旬頃より、理工学部長平尾子之吉教授及び同学部機械工学科主任下村英太郎助教授の勧誘、承認のもとに居住しているのであつて、何ら不法占拠ではない。しかも大学より退去の要求を受けたのは、本件解雇後の昭和三十年九月頃がはじめてである。

元来申請人は、飲酒すると愉快になる性質であり、酒の上で大声を出してはしやぎ或は同僚の自宅へ押しかけて迷惑をかける程度のことは、ほめたことではないが、別段取りたてて問題にするほどのこともない些細な私行上の欠点にすぎず、かかる二、三年前の問題にもならない出来事を捏造した右休職理由は、とうてい正当なものといえないのみならず、大学の就業規則第二十五条第二項の「休職期間は三ケ月とする」旨の規定は、右休職期間満了により当然休職の効力を失い、あらためて休職を命ずるか退職理由があれば、それを根拠に退職を命じなければ、当然復職する趣旨の規定であるのに拘らず、右休職期間満了により当然退職になつたものとして、申請人に対してなした本件解雇は、何ら正当な解雇理由がなく、したがつて本件休職並びに解雇は無効である。

三、ところで、大学は申請人に対する右休職理由の合法化に苦慮したものか、不可解にも、申請人に対して、就業規則第二十五条第三項の「休職期間中は給与の半額を支給する」旨の規定を無視して、昭和三十年四月、五月、六月分の賃金全額を支給したのみならず、解雇後の同年八月より昭和三十一年三月まで八ケ月に亘り、賃金の概算として、合計金十万八千円を支給し、しかもその間申請人の抗議に対し、その都度「時期を見て復職させるから、もうしばらく待つてくれ」といいのがれて、時日を遷延してきたが、昭和三十一年三月末日頃「復職の見込が立たないから、他に職を探してくれ。賃金はもう払わない」といつて、賃金の支払を打切つたのであつて、このことは、いかに大学が申請人に対する本件休職並びに解雇理由の捏造に苦慮したかを示すものであるとともにその正当な理由がなかつたことを裏書するものである。

四、以上のとおり、本件休職並びに解雇は無効であつて、申請人は、依然として、大学の理工学部機械工学科の専任講師としての地位を有し、昭和三十年三月十九日当時平均賃金一ケ月金一万七千五百円を毎月末日限り支払を受けていたが、同年七月より昭和三十一年九月までの賃金合計金二十六万二千五百円及び昭和三十年十二月の越年資金一万二千円より、前記のとおり既に受領した昭和三十年八月より昭和三十一年月三月までの概算払合計金十万八千円及び昭和三十年七月より昭和三十一年九月までの税金等控除額合計金一万二千八百三十四円を差引いた未払賃金十五万三千六百六十六円については、既にその支払を求め得るところ、申請人は現在国立滋賀大学の非常勤講師として、月収わずか金四千五百円をもらつているにすぎず、それだけでは長男と二人の生活を支えることは不可能であつて、糧道を断たれた俸給生活者として、本案判決を待つていては著しい損害を蒙る虞があるので、右の損害を避けるため、前記専任講師たる仮の地位を定めるとともに、右未払賃金のほか、将来の賃金についてもその支払を求めるため本件申請に及んだ次第である。

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は、「申請人の申請を却下する。」との判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、申請人主張の事実のうち、申請理由一、記載の事実同三、記載の事実中、大学が申請人に対し昭和三十年四月、五月、六月分の賃金全額を支給したことは認める。

二、本件休職並びに解雇は、次に述べるような理由に基くものであつて、何らの瑕疵はないから有効である。

(一)  申請人は、酒行上悪癖があり、飲酒すると学園内外を問わず、他人のひんしゆくを買うような行為が多く、到底教職員として適当とは考えられないほど常軌を逸した醜態を演ずることがしばしばあつた。すなわち

1 昭和二十七年十二月、泥酔の余り、深夜、布施市小若江の大学附属小、中学校長楢崎浅太郎方玄関において、わめき立て、障子を破壊した。

2 昭和二十八年三月十五日の卒業式当日、泥酔して、大学二号館四号室を清掃中の小使松村キタに対し、一学生が酒を勧め、同女が飲もうとするところを、横合から、「こんな糞婆々に飲ます必要はない」と怒鳴りたて、同女の頬を四回連続殴打した。

3 同年十一月二十五日、大学図書館閲覧室において、教職員忘年会が開かれた際、泥酔の上、理工学部長平尾子之吉教授の頭部を強打した。

4 昭和二十九年五月五日、南海沿線淡輪公園において、教職員互助会のリクリエーションが開かれた帰途、泥酔して、朝鮮人数名と喧嘩した。

5 授業時間中に酒気を帯びて教授講師控室に立入り、意味なくわめき立てたり、大声を発する等不謹慎な行為をしばしば繰返し、教職員及び学生から、その不謹慎を非難する申入が再三大学当局にあつた。

(二)  申請人は、昭和二十七年十月頃から、大学の理工学部機械工学科西実験室の東北隅二階一室約六坪に、大学の承認を受けることなく、ひそかに不法占拠して居住し、この事実を発見した大学管理当局より、厳重退去方を要求せられたにも拘らず、これに応ぜず、そのため大学の右実験室改造計画が一部実行不能の状態となつた。

以上のとおり、申請人は、飲酒の結果教育者として他より指弾を受けるような悪癖があり、かかる悪癖が教育機関たる学園内で繰返される場合は勿論、学園外で繰返される場合には、大学自体の権威、信用を失墜させ、また学内の不法占拠により、実験室改造計画を実行不能ならしめて、学園に損害を与えたので大学は、昭和三十年三月十九日、理工学部教授会を開催し、申請人の右行為は、大学の就業規則第四十一条第二号「故意、過失若くは監督不行届により学園に損害を与えたとき」、第四号「素行不良なるとき」、第十号「同僚に対し重大な侮辱を加えたとき」の各懲戒事由に該当するが、右第四号第十号該当の行為は飲酒酩酊の上の行為であることを斟酌して、これを同条第十五号の「その他前各号に準ずる行為のあつたとき」として考慮し、更に酒行上の悪癖は、本人の節酒または自粛によつて治療されるものであり、学内の不法占拠も本人の意思次第で直ちに解消されるものであるから、申請人に反省の機会を与え復職をも考慮して、直ちに右懲戒規定を適用せず、就業規則第二十五条第一項第五号の「業務の都合によるとき」の休職規定を適用して、申請人に休職を命ずることを決議し、即日理事長の決裁を経て、休職の発令をなし、申請人に反省の機会を与えたのであるが、その後三ケ月の休職期間満了前である同年六月十六日、再び理工学部教授会を開催し、申請人には反省の意思がないものとして、解職を命ずることを決議し、理事長の決裁を経て、同月十八日附で解職の発令をなし、当時申請人の居所が不明であつたので、同月下旬頃解職辞令を、同年七月二十二日一ケ月分の解雇予告手当を夫々申請人に提供して、解雇の通告をなしたのである。

就業規則第二十五条の休職処分は同条第三項の三ケ月の休職期間中に、休職原因が排除されないとき、または復職の決定がなされないときは、期間満了によつて雇傭関係が終了する趣旨であることは、同条の休職制度自体から当然である。もつとも同条第一項の休職事由中には、休職期間内にそれが消滅したときに、自動的に所定の手続を経て復職する場合と、一定の機関の認定を経て復職する場合とがあり、同条第一項第五号の「業務の都合によるとき」は後者に該当するものであり、特に同号は極めて漠然とした白紙委任状的条項であるから、一般的には、私行上において教職員として好ましくない行為が継続して行われたときとか教職員として能力上その適格性が否定されるようなものに適用される外、就業規則第四十一条各号の懲戒事由に該当しまたはこれに準ずる行為に該当する場合に、懲戒処分に附することが過酷であるとなす情状がある場合またはその事由によつては、本人の将来を斟酌すべきものと判断された場合に、右懲戒規定を直ちに適用せず、一応本人に反省の機会を与え或は他に就職の便宜を図るために、同号を適用する場合があるのであつて、かかる場合は普通の休職の場合と異り、恩恵的な措置であるから、普通の休職概念から引出される復職ということは実際上予定せず、休職期間満了後の解職を予定しているものであつて、本件はまさにこのような場合に該当するのである。尤もこの場合にも、休職から無条件に自動的に退職となるのではなく、あらためて復職させるかどうかを審議し、復職させないと決つたときは、休職期間満了のときに雇傭関係は終了し、解職の発令をなすのであつて、本件においても、休職期間満了前の昭和三十年六月十六日理工学部教授会を開催し、その審議を経て、理事長の決裁により解職と決定され休職期間の満了した同月十八日附で解職の発令がなされたのであるから、本件解雇は同月十八日に、かりにそうでないとしても、一ケ月分の解雇予告手当を提供した同年七月二十二日に、その効力が発生したものである。

三、就業規則第二十五条第三項の「休職期間中は給与の半額を支給する」旨の規定は、その最低限度を定めたものであつて、その具体的な適用については、大学の人事委員会において、個々の事情を斟酌して決議し、理事長の決裁によつて実施されるものであつて、休職期間中に賃金全額の支給をしたのは、ひとり申請人だけでなく、申請人と同時に休職となつた理工学部機械工学科助教授下村英太郎に対しても同様の措置がとられたのみならず、元来右規定は休職原因が三ケ月の休職期間内に消滅する場合には、復職させることを予定しているので、休職原因によつては、最低基準を一律に適用することは休職者の生活を異状に脅かすことになるので、個々の事情を考慮して、具体的に妥当な給与額を決定し得るものである。

また大学は、昭和三十年七月二十二日、申請人に対し、一ケ月分の解雇予告手当を提供したところ、申請人はその受領を拒絶しながら、当時申請人の依頼に基き、申請人の復職につきあつ旋の労をとつていた厚生部長永井次勝に対し、「予告手当の受領を要請されているが、予告手当としてではなく、貴方から借りることにして受領したい」旨申入れたので、同年八月二十九日右永井部長より申請人に対し金一万三千円を貸与したのであつて、大学より申請人に対し同年八月以降の賃金を支給したことはない。

また大学は、申請人から復職に関する嘆願を受けたことはあるが、抗議を受けたことは一度もなく、右永井部長が個人的立場から、大学に対し、しばしば申請人の復職に関しあつ旋をなしたことが、申請人を混同誤解せしめたにすぎないのである。

四、申請人は、大学より賃金の支給を受けられなくなつた昭和三十年七月より本件申請をなすに至つた昭和三十一年十月三十日までの間、何ら賃金その他の請求訴訟を提起することなく、漫然日子を経過したのみならず、申請人は本件解雇に至るまで被申請人大学の講師であると共に国立滋賀大学の講師であつたのであつて、被申請人大学を唯一の生活の根拠としていたものではないから、本件仮処分を必要とする急迫した事情は存在しない。

五、以上のとおり、大学の申請人に対する本件休職並びに解雇処分は有効であるのみならず、申請人には本件仮処分を必要とする事情は存在しないのであるから、申請人の本件申請は失当である。

第三、疎明関係〈省略〉

理由

一、休職並びに解雇の通告

被申請人大学は、学校法人法による綜合大学(法、商経、理工、薬各学部、短期大学部)であり、申請人は昭和二十六年一月一日大学の理工学部機械工学科の非常勤講師として採用され、昭和二十七年四月一日より専任講師として勤務していたものであるが、大学は申請人に対し、昭和三十年三月十九日休職を命じ、更に三ケ月の右休職期間満了により、同年六月十八日退職になつたものとして、その頃申請人に解雇の通告をなしたことは、当事者間に争がなく、証人岩城由一の証言によつて成立を認めうる乙第十六号証によれば、右十八日付で「休職満期に付本職を解く」旨の解職の発令がなされていることが疎明せられる。

二、休職の効力

申請人は、右休職処分は何ら正当な理由がないから、無効であると主張するのに対し、被申請人は、就業規則第二十五条第一項第五号の「業務の都合によるとき」の休職規定を適用してなしたもので何らの瑕疵はないから有効であると主張するので、按ずるに休職処分とは、ある従業員に職務を従事させることが不能であるか、もしくは適当でないような事由が生じた場合に、その従業員に対し、従業員の地位は現存のまま保有させながら、執務のみを禁ずる処分であるから、通常はその事故が一時的であり、かつ事故の消滅によつて当然復職すべきことが予定されているものというべく、従つて被申請人主張の就業規則第二十五条所定の休職事由の一つである」「業務の都合によるとき」とあるは、右文言が通常用いられる意味に従い、被申請人大学が、学生数の変動学部科の改廃に伴い業務を縮少した場合に生じる一時的な業務上の支障の如く、大学側の業務運営上の事由による場合を指称するものと解するを相当とし、被申請人の主張の、酒行上の悪癖、学園建物の不法占拠といつたような非行、すなわち専ら一般人としても非議すべき事実が問題となる場合は、ただちにこれを以て右休職事由に該当するものということはできない。況んや被申請人主張の如く、申請人の行為を以て就業規則所定の懲戒事由すなわち飲酒の上の非行が同規則第四十一条第四号の素行不良ならびに同条第十号の同僚に対する重大な侮辱または同条第十五号の右に準ずる行為に、建物不法占拠が同条第二号の故意、過失により学園に対し損害を与えたときに各該当するものとしながら、正規の懲戒手続による懲戒処分を避け、反省のためと称し、責任追求の意図を以て休職処分に付するが如きは、懲戒処分たる停職処分の代りに休職処分を流用せんとするものであつて、両者の目的、性格の相違に照し、かつまた右懲戒事由が休職事由に該当しない点を鑑みるとき、かくの如き処置が許されないことはいうまでもない。(もつとも右就業規則によれば、懲戒の種類は訓戒、譴責、減俸、解職の四種に限定せられていて、停職処分は認められていない。従つて懲戒処分としての解職が酷に過ぎるのであれば、減俸、譴責訓戒のいずれかを選択して、反省を求めるべきであつて、停職処分が認められていないからといつて休職処分を以て代用することができないのは、いうまでもない。)さらに被申請人主張の如く復職を予定しない休職処分を想定して処理するが如きは、名を休職に籍り、実質は解雇処分をなすものであるから、就業規則の解職の条項に従い、一箇月以上の予告期間を設けるか、または一箇月の予告手当を提供して解雇するの処置に出ずべきであつて、休職処分を以て代用するが如きことは許されない。

従つて、本件休職処分は、就業規則所定の休職事由に該当するものとして、適法な効力を生ずるに由なきものというべきである。

三、解雇の効力

(一)  被申請人は、本件解雇は、右休職処分を前提とし、就業規則第二十五条第二項の「休職期間は三ケ月とする」旨の規定に基いてなされた休職期間満了による解雇であり、同条は休職期間中に、休職事由が消滅または排除されないとき、若しくは復職の決定がなされないとき(本件の如く義務の都合による休職の場合にあつては、復職の決定によつて休職事由の消滅を認定した場合にのみ休職処分が失効して復職する)は、期間経過とともに退職になることを定めた趣旨であつて、本件では休職期間満了前、復職の可否を審査し、復職させないことに決定したのであるから、休職期間満了とともに、これを理由とする解職の発令をすることは何等違法でないと主張するのであつて、右主張に従えば、休職処分が無効であれば、解職処分も亦当然無効となる筋合であるが、その点は暫く措き、休職期間の満了によつて、被申請人主張の如く退職の効力を生ずるかどうかについて考察するに、休職処分は、被申請人も認める如く、休職期間中に、休職事由が消滅した場合は、当然その効力を失い、復職せしむべきものであることは、(この場合における復職の発令は確認的なものというべきである。)勿論であり、問題は、休職期間中に、休職事由が消滅しない場合であるが、このときにおいても、就業規則に特段の定めがない以上、国家公務員法第八十条、人事院規則一一―四(職員の身分保障)第六条第二項の規定と同様、休職期間が満了したときにおいて当然復職する趣旨であると解すべきは、前記休職処分の性格に照し条理上当然であるとともに、もしこれを反対に解せんか、条件付解雇を認めると同じく相手方の地位の安定を害する点よりみても明らかである。とくにこのことは、証人永井次勝の証言により成立を認めうる甲第八号証及び同証言によつて明らかな如く、被申請人大学の昭和二十六年六月一日以前の旧就業規則第二十六条第二項には、「休職期間は二ケ月とし、期間経過後は自然退職としてこれを取扱う」旨規定されていたのを現規定のように改正された経過に徴しても明白であるというべく、また、被申請人主張の如く、休職期間中に復職させない旨の意思決定をしても、これが内部的なもので、独立した解雇の意思表示と認められない以上、休職事由の不消滅を確認する意味を有するに止まり、何等、右結論に影響を来するものでないことはいうまでもない。

従つて、申請人に対し、右休職期間満了により退職したものとしてなされた本件解雇(確認的な意味の解雇)は、前記のとおり無効な休職処分を前提とするのみならず、休職期間満了(但し、実際の満了日は期間計算上昭和三十年六月十九日となる)を以て解雇事由とする点で、就業規則の解釈を誤つたものであり、いずれの点よりするも無効といわなければならない。

もつとも、被申請人の昭和三十年六月十八日付解職辞令による解雇は、当初より解雇手当の支給が予定されていて、その後解雇手当の提供がなされている事実(右は成立に争のない乙第十七号証、証人岩城由一の証言によつて成立を認めうる乙第十三号証、証人永井次勝の証言、申請人本人の供述に照して明らかである)と相俟つて、休職期間満了のみを事由とする解雇でなく、休職原因たる申請人の非行を理由とする普通解雇の意思表示を含むものと解される余地があり、被申請人の主張中にも、右普通解雇を仮定的に主張するものとみられる節があるので、以下その当否について判断する。

証人曾根秀明、同水谷一雄、同松村キタ、同河井英一の各証言、証人平尾子之吉、同岩城由一、同永井次勝の各証言(一部)及び申請人訊問の結果(一部)を総合すると、次の事実が疎明せられる。

1  申請人は、昭和二十七年八月の夏期休暇中、夕方同僚と飲酒した後、当時大学職員寮の二階に居住していた友人の商経学部長川西正鑑教授を訪ねるため、同所の階下に居住していた大学附属小、中学校長楢崎浅太郎方に赴き同所玄関口で、「正鑑、正鑑」と大声で呼び出したが、相当酩酊していたため、玄関口にひつくり返り、そのため右楢崎方玄関の障子を破壊するに至つた。

2  昭和二十八年三月二十五日の卒業式当日、学生との間に謝恩会が催された際、大学二号館四号室において、小使松村キタが一学生より酒をすすめられて、飲もうとしたところ、申請人が酩酊し両脇を学生にかかえられながら、同女の傍にやつてきて、「こんなおばあに酒を飲ますことがあるか」というなり、附添つていた学生の手を振り払つて、同女の頬を殴打した。

3  同年十一月二十五日大学図書館閲覧室において、教職員忘年会が催された際、同僚の前記川西正鑑と平尾理工学部長とが同席していたが、偶々両名とも頭が禿げていたので、申請人が酔余戯れに右両名の禿頭をなでたのであるが、その後右平尾理工学部長よりそのことについて別に苦情をいわれたことはなかつた。

4  昭和二十九年五月五日、南海沿線淡輪公園において、教職員互助会のリクリエーションが催された際、同公園の台地附近で、消防署員が警察官らしい制服を着た一日本人が、多数の朝鮮人にとりかこまれて殴打されていたところを、偶々申請人が通りかかり、その中に入つて、右日本人を救助せんとし、申請人も右朝鮮人にとりまかれたが、申請人が手出をしなかつたため、間もなく右朝鮮人も立ち去つてしまつた。

5  申請人は元来地声が大きく、教授講師控室において、持前の大声で談笑することがしばしばあつたため、一部の教授講師より必ずしも快よく思われていなかつたけれども、授業時間中に酒気を帯びて意味なくわめきたてたり大声を発するようなことはなかつた。

6  申請人は、昭和二十八年五月頃、大学の理工学部教授松村竜雄が奈良学芸大学へ転任したので、同人が居住していた理工学部機械工学科西実験室二階の一室に同人に代つて入居し、同所に居住していたが、その後右実験室を改造することになつたので、平尾理工学部長より申請人に対し、再三同所を出るよう注意したが、申請人が立退かなかつたため、営繕係や機械教室より平尾理工学部長に対し、立退催促方の要求があつた。

乙第二号証、同第三号証、同第四号証、同第六号証、同第十一号証、同第十三号証の各記載及び証人平尾子之吉、同岩城由一、同永井次勝の各証言並びに申請人本人の供述のうち、右認定に反する部分はにわかに措信し難く、他にこれを覆すに足る疎明はない。

(二)  そこで、右で認定したような申請人の行為が、はたして解雇(本件就業規則には解雇基準の設定はない)に値するかどうかについて考察するに申請人の前記(一)の1、2の行為は、教育に携わる大学の講師として、酔余の行状とはいえ、必ずしも看過できることとはいえないが、いずれも本件休職処分より約二、三年も前の出来事であり、前記(一)の3、4、5の行為はいずれも問題にするほどのこともない些細な出来事であり、また前記(一)の6の行為については、証人平尾子之吉、同岩城由一の各証言及び申請人本人の供述によれば、大学においては戦後の住宅難のため住宅に困つている教職員に教室を提供して居住させていたこと、申請人の居住している実験室の改造計画が具体化したのは昭和三十年春頃からであること右実験室には申請人の外に大学附属高等学校の森一雄教諭も昭和三十年八月末頃まで居住していたことが窺われる外昭和三十年三月十九日の申請人に対する本件休職処分を審議した理工学部教授会においては、休職事由として、申請人の酒癖が悪いという漠然とした事実が提示されただけで、実験室占拠の点は全然触れていないことが証人岩城由一の証言で成立を認めうる乙第十号証で疎明せられ、大学が右実験室の明渡を求める必要性があつたとしても猶予できないほど差迫つたものであつたかどうか頗る疑問であるし、また教授、講師仲間の全般に申請人の行状が知れ渡り、従つて本件休職処分の理由が公知の事実であつたというわけでないことは右、乙第十号証及び証人中西健治、同高月竜男の各証言によつて窺われるとともに証人永井次勝の証言によつて明らかな如く同大学厚生部長たる永井次勝は、申請人の解職後もその復職は可能とみて、相当期間申請人に貸借名義で金員を支給する一方、申請人のため電気工学科への採用につき斡旋の労さえとつている位であるから、申請人の右の行為によつて、学園の秩序が破壊され、大学の業務運営に不安、支障を来したものとは到底考えられない。

(三)  さらに飜つて、申請人に対する処分問題の経過をみるに、前記乙第十、十三号証、証人岩城由一の証言によつて成立を認めうる乙第十一、十二、十四号証に、右証人中西健治、同永井次勝の各証言、申請人本人の供述、その他弁論の全趣旨を総合すると、申請人は、同僚の噂の如く、人柄は悪くないが、平素飲酒を好み、かつ口が軽く、思つたことをすぐ言動に表す性格であるため酔余時として前後を弁えずに放言する癖があり、これが学部長、事務局の主脳部を刺戟し、非常識として不快の念を抱かしめていたため、偶々同大学の下村英太郎助教授の処分問題、これにからむ暴力事件が発生し事態紛糾するや、この機会に申請人をも学外に追放せんとする動きが生ずるに至つたのであり、従つてその休職、解職処分の対象となつた申請人の非行といつても、その大部分は、当時不問に付されていた過去の酒行上の古疵であるし、教員の進退を決する大学理事長の諮問機関たる教授会(教授会が諮問機関であることは成立に争のない乙第十五号証によつて疎明できる。)も、休職処分にあたり、申請人の右非行を示されて逐一これを審議したわけでなく、また休職期間満了直前(昭和三十年六月十六日)の教授会は、専ら下村助教授の進退問題の論議に終始し、申請人については、一、二発言があつただけで、休職後の申請人の行状、反省の程度(休職処分後における飲酒上の非行を疎明しうる的確な資料はない。)復職の可否等については全然審議していないのに拘らず、申請人に反省の色なきものとして、理事長に対する解職処分の上申手続がなされ、理事長も即時にこれを決裁しかねて上申書に「尚考慮中のことあれば別に決定のこと」という留保を付しており、この留保が撤回されて解職の発令に至つた事情は明確でないが、その後約一年経過した昭和三十一年六月五日、さらに理事長の要請で教授会が開かれ、申請人の復職の可否が提案されておるのであるが、すでに解職後のこととて、一部には復職に難色を示す意見も出たところから、平尾理工学部長の復職不可の一方的な裁断で審議を終つている始末であつて、その間申請人より休職、解職事由につき弁明したいという強い希望の申出があつたにかかわらず、何等その機会を与えていないことが窺われる。

(四)  以上によつて明らかな如く、申請人の酒行上の悪癖、学園建物の退去拒否は教員として決して芳しいものでないが、解雇は申請人等教員の生活に甚大な打撃を与えるものである点よりすれば、前記の如き酒行上の悪癖、建物の退去拒否を以て直ちに解雇に値するものとはいい難く、しかもすでに不問に付された過去の飲酒上の非行を持出して解雇の処置に出るが如きは、いさかさ信義の原則に違反するきらいあるを免れない。それに解雇の手続も慎重さを欠いている点を考慮するとき、本件解雇は、いわゆる権利の濫用として適法な効力を生ずるに由なきものといわなければならない。

四、仮処分の必要性

以上の次第で、被申請人の申請人に対する本件休職並びに解雇処分はいずれも無効であるから、申請人は依然大学の理工学部機械工学科の専任講師としての地位を有するところ、昭和三十年三月十九日当時申請人が大学より毎月末日限り金一万七千五百円の割合による賃金の支払を受けていたこと、申請人に対する昭和三十年十二月の越年資金が金一万二千円であること並びに同年七月より昭和三十一年九月までの税金等控除額が合計金一万二千八百三十四円であることは、被申請人の明らかに争わないところであり、申請人が昭和三十年四月五月六月分の賃金全額を受領していることは当事者間に争なく、申請人が昭和三十年八月より昭和三十一年三月までの賃金概算として金十万八千円を受領していることは、申請人の自認するところであるから、昭和三十年七月より昭和三十一年九月までの申請人の受領すべき賃金が合計金十五万三千六百六十六円であることは計数上明らかであり、しかも被申請人が不当にも解雇の有効を主張し、申請人の就労を拒否してきた関係にあることは弁論の全趣旨によつて明らかなところであるから、申請人は被申請人に対し、大学の理工学部機械工学科の専任講師たる仮の地位の設定と右未払賃金十五万三千六百六十六円及び昭和三十一年十月一日以降毎月末日限り金一万七千五百円の割合による賃金を請求し得るものというべきである。

そして、申請人本人訊問の結果によれば、申請人は自己の収入で長男と二人の生活を支え、賃金を以て唯一の生活の資としていたが、本件解雇後その生活に困窮していることが疎明されるので、本件仮処分はこれを求める必要性があるものといわなければならない。この点について被申請人は、申請人は大学より賃金の支給を受けられなくなつた昭和三十年七月より本件申請をなすに至つた昭和三十一年十月三十日までの間何ら賃金その他の請求訴訟を提起することなく漫然日子を経過したのみならず、申請人は本件解雇当時被申請人大学の講師であると共に国立滋賀大学の講師でもあつたのであつて、被申請人大学を唯一の生活の根拠としていたものではないから、本件仮処分を必要とする急迫した事情は存在しない旨主張するので按ずるに、申請人が本件申請をなすに至つたのは昭和三十一年十月三十日であることは本件記録上明白であり、また申請人が現在国立滋賀大学の講師であることは申請人の認めるところであるけれども、申請人本人訊問の結果によれば、申請人は昭和三十年八月より昭和三十一年三月までの間、大学の永井厚生部長より貸借名義の下に毎月平均金一万三千円づつの支給を受けていたこと、本件申請をなすに至るまで絶えず大学に対し復職の嘆願をしていたこと、並びに国立滋賀大学の収入は週わずか金二千余円にすぎないことが疎明されるので、右の事情は未だ本件仮処分の必要性を否定する資料とはなし難い。

五、結論

よつて、申請人の本件仮処分申請はその理由があるものと認め、保証を立てしめないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 塩田駿一 武居二郎)

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